名所・旧跡の紹介


名所

(別院から近い順に掲載しております)

【帯広百年記念館】
帯広百年記念館

 帯広百年記念館は、博物館と創造活動センターの機能を持った十勝地域の広域複合型施設として、昭和57年(1982)に開館しました。
博物館では、十勝の歴史・産業・自然を紹介する常設展示室をはじめ、博物館講座「郷土学習見学会」・「自然観察」などのプログラムを開催しています。
創造活動センターでは、陶芸を中心とした「もの作り」講座や、各種団体が学習会や発表会などに利用できる貸室も行っています。
○交通:別院から車で7分


【十勝ヒルズ】
十勝ヒルズ

●ガーデンも施設も素敵にリニューアル
●帯広駅から車で15分。幕別町日新のガーデンが花と自然のコラボを一新。
●無料ウェルカムゾーン・オープンカフェ・バリアフリートイレ・札内川の美味しい水。
●グッドビューのガーデンレストランでランチビュッフェ。
●毎週、金・土曜日にはライトアップのロマチックディナー
○交通:別院から車で15分


【十勝大橋】
十勝大橋

 橋の周辺の河原では、毎年夏に花火大会が開かれ大勢の人で賑わう夏の時期はもちろん、厳しく長い冬の間も、夜空にはばたく2羽の鶴のようにも見えるこの橋が、町に住む人々にとって自慢の景色の一つなっている。
○交通:別院から車で17分


【十勝川温泉 足湯】
十勝川温泉 足湯

 十勝平野の真ん中に位置する町、音更町の十勝川の河畔に湧く十勝川温泉。遥か太古の時代より、葦などの自生植物が長い時間をかけて堆積した亜炭層から湧出する温泉で、植物性(モール)の有機物を多く含み、肌への刺激が少なく、一般の温泉にくらべ天然保湿成分を多く含むため、湯上りに肌がしっとりツルツル効果を実感する美人の湯として知られています。
○交通:別院から車で20分


【十勝が丘公園 ハナック】
十勝が丘公園 ハナック

 十勝川温泉街の北にある公園で、直径18mの巨大な花時計ハナックがある。花植えは季節に合わせて毎年5回行われ、時計を囲むようにチューリップやパンジーなど、色鮮やかな花が植えられています。
○交通:別院から車で20分


【白樺の木】
白樺の木

 シラカンバ(白樺、学名 Betula platyphylla var. japonica)は温帯から亜寒帯地方に多く見られるカバノキ科植物落葉樹の一種。樹皮が白いことからこの名がある。別名、シラカバ。日本では福井県を西端、静岡県を南端として北海道までの落葉広葉樹林帯と亜高山帯下部に分布する。日本の高原を代表する木の一つ。主に、長野県や北海道に多い。
参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


【幸福駅】
幸福駅

 1973年3月、NHKのテレビ番組『新日本紀行』で『幸福への旅〜帯広〜』として紹介されたのをきっかけに、愛国駅から幸福行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズとともに一大ブームになりました。これをもとにした歌『愛の国から幸福へ』もヒット。愛国→幸福の切符が4年間で1,000万枚も売れました。
また最近では2005年には『新日本紀行 ふたたび』の第1回目『幸福への旅〜帯広〜』が放送されました。 
1987年2月2日旧国鉄広尾線は廃止されましたが、今も観光客が絶えません。
○交通:別院から車で35分


【池田ワイン城】
池田ワイン城

 地方自治体である池田町が経営する十勝ワインの醸造場『池田町ブドウ・ブドウ酒研究所』は、通称・ワイン城と呼ばれ親しまれている。
○交通:別院から車で45分


【ハルニレの木(豊頃)】
ハルニレの木(豊頃)

 推定樹齢140年という豊頃町のシンボル。帯広からは車で約50分とやや遠いながらも、いつも観光客で賑わっている。
豊頃町は知らなくても、豊頃町のシンボル「ハルニレの木」をテレビや雑誌、写真集で見たことのある人は多いのではないでしょうか。左右いっぱいに大きく枝を伸ばした大木のハルニレ。実は2本の木が一体化して美しい形を作った珍しいものです。雨の日も風の日も決して離れることなく寄り添ってきた2本の木は、永遠の愛を誓い合った恋人たちのように思いませんか。
そんなハルニレを訪ねて、ぜひ豊頃町に見に来てください。
○交通:別院から車で1時間弱


旧跡


【依田勉三の銅像】
依田勉三の銅像

 依田勉三氏は1853年(嘉永6年)に現在の静岡県賀茂郡松崎町で甲州武田氏の流れを汲む豪農の三男として誕生する。1882年(明治15年)に「晩成社」を創立、翌年には移民団27人を引き連れて下帯広村へ入植した。
夢と希望を抱き来たものの、新天地は予想をはるかに越えて過酷な試練を勉三氏と「晩成社」に突きつけた。そんな勉三氏の功績は未来へ向かって花開くこととなり、十勝農業近代化への突破口となったのは事実である。1925年(大正14年)、勉三氏は「晩成社には、もうほとんど何も残っておらん。しかし、十勝野は」という最後の言葉を残し、波乱に満ちた72歳の生涯を終えた。


【帯広発祥の地】

「開墾のはじめは 豚と 一つ鍋」:依田勉三作
この言葉は、豚も人も一つの鍋を囲むくらい想像を絶する程の厳しい生活環境であった、という言葉がこの「開拓のはじめは 豚と 一つ鍋」の言葉である。決して豚を食用にしたという意味ではなく、当時は荒れ果てた土地、イナゴやネズミの襲来、さらには洪水、早霜などの不運に見舞われながらも、開拓してきた苦労がこの言葉だったのだろう。
今帯広市は16万人と人も動物も暮らしやすい現在をみて、本当に感謝の心で一杯になる今日この頃である。


浄土真宗本願寺派 本願寺帯広別院